恐らく子供のころだと思うのですが、私は「自分がされて嫌なことは人にするな」と言われ続けてきました。
ですが、この言葉はエニアグラムを学んだ今となっては「矛盾だらけであり、自分の価値観の押し付けに過ぎない」と感じるようになりました。
なお、エニアグラム自体について知識がない人に、基礎から説明するのは大変であるため、あえて「一定の知識を有する人向け」の書き方にします。
まず、私はエニアグラムで分析すると「タイプ1ウイング2」でほぼ間違いないと思われます。
タイプ1の人間の、根底にある基準は「間違えてはならない」というものです。
言い換えれば「正しくあらなければならない」とも表現できます。
そして、まずは家族がエニアグラムでどのタイプに当てはまるかを、先に述べます。
父は「タイプ6ウイング5」であり、母は「タイプ9ウイング8」で、ほぼ間違いないと思います。
まず、父の根底にある基準は「自分自身を信頼してはならない」です。
そして、自分の信頼できる人に追従するような形をとり、また「首尾一貫した言動」よりも、「臨機応変な行動」の方を重視します。
私は逆に「首尾一貫していること」に対してこだわりがあります。
これはタイプ1の特徴であり、その点でも父とそりが合わないことは、容易に想像できると思います。
実際父の「ダブルスタンダード」な行動(臨機応変に、その時の状況(あるいは「気分次第」)で答えを変える)によって、何度もストレスを感じ続けていました。
まさに「自分がされて嫌なことを、され続けてきた」という形です。
次に、母の根底にある基準は「自己主張してはならない」です。
そのため「争うことを嫌い」、また「自分の感覚が絶対であるという無意識的な優越感を、人に押し付ける」という傾向(これは、エニアグラムによるのではなく母の個人的資質かもしれませんが)があります。
結果として、私が言うことはことごとく無視されたり、軽視され続けてきました。
特に「正しいことを主張する」ことが、母にとっては「争っている」と解釈され、結果として「常に怒られ続ける」という状態になっておりました。
更に「指示代名詞が多くて、具体的なことが何も分からない」ということが多く、そのたびに「きちんと説明して!」と言い続けてきたのですが、一向に変えることはありません。
(ちなみにこれは、タイプ9の特徴である「怠惰」が影響しています。自分の「安定したやり方」を変えたくないというのが、根底にあります)
当然ながらこれも「自分がされて嫌なことを、され続けてきた」という形に当てはまります。
これだけでも、いかに「自分がされて嫌なことを、両親にされ続けてきたか」というのが分かると思います。
その時点で、この言葉に疑問を抱くのは当然のことだと考えるのですが、いかがでしょうか?
更にエニアグラムを分析すると、そもそも「嫌なことが正反対である」タイプが多々存在しています。
代表的なものは、エニアグラムタイプ8と、タイプ9です。
タイプ8にとって嫌なことは「支配されること」であり、そのため「争うことは、むしろ好む」という特性があります。
逆にタイプ9は前述のとおり、嫌なことは「自己主張を余儀なくされること」であり、「争うことを忌避する」という特性があります。
(まあ、タイプ9の人が「本当に怒りを覚える」と、一番怖いのですが……)
これらを総合すると、見えてくるのが「自分がされて嫌なことを、人が嫌だと感じるとは限らない」という結論です。
もちろん、恋人同士のように「相手が嫌だと感じていることが、分かる間柄」であれば、そのことを避けるのは必然的だと思いますが、逆に「全ての人に対して、その人が嫌だと感じていることをしてはならない」ということは、不可能であると言わざるを得ません。
また、この言葉に従うということはすなわち「自分の価値観が絶対であり、自分がされて「いいこと」は、むしろ人にしたほうが良い」という危険な考え方にも繋がります。
今までに述べたとおり、その人が「嫌だと感じること」はタイプによって大きく異なるため、むしろ「その人を苦しめる」結果につながることも、多々見られるのではないでしょうか。
こうやってエニアグラムを通してみることで、この言葉の危うさが見えてくると思います。
この言葉が「正しい」と思っている人は、一度内省してみたほうが良いかもしれません。
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