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2023年1月24日 (火)

大学入試共通テストにおける、定規の使用に関する私見

 今年も、全国学力テストにおいて定規を使用したということで、静岡(及び東京)で一人ずつ、失格者が出てしまいました。
 いろいろと調べてみると「定規を使うことで、解き方が分からない問題であっても概算の答えを導き出せてしまう」ということから、使用を禁止されているということです。

 それ自身に対しては、ある程度納得できます。
 ですが去年も述べたことですが、「代替措置」を講じることなく一律に禁止しているのであれば、それは大きな問題をはらんでいると言わざるを得ません。

 障害者の中には、さまざまな特性を有しているものが存在します。
 そして、その中には「長文を読もうとすると、視覚に入ってくる情報が多すぎて、把握できなくなる」というものも、存在しているのです。

 この場合、障害を克服する方法として「一文ずつ読む」という方法があります。
 そのために「補助具」として何かしらの「道具」を使うというのは、その人にとって必須なのです。

 言うならば「目が悪い人に、道具の使用を禁止していることからメガネを取り上げる」のと、同じようなことをしているのです。
 これがどれだけ「不平等」であるのかは、容易に想像ができると思います。

 もちろん、「定規を使うことで、不平等になる」という点は私も認めます。
 ですが「無色の下敷きを貸出し、試験後に返却させる」という代替手段は、それによって他の受験者に対し、特段有利になる条件ではないと考えます。

 これに関しては、私の考え方に近い判例が存在します。
 最判平成8年3月8日の「エホバの証人剣道実技拒否事件」というもので、宗教上の理由でその学校で必修となっていた剣道実技を拒否した結果、原級留置処分(留年)、退学処分に至ったため起こされた裁判です。

 判決の中で「信仰上の理由による履修拒否と、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、また代替措置について何ら検討することもなく行った学校側の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、社会通念上著しく妥当を欠く処分である」として、学校側を敗訴させました。

 これとほぼ、同じことが当てはまると思います。

 脳の構造上「必要である、一行ずつ読むための手段」であることを考慮せず、また「下敷き」などの代替措置を検討することなく行われているのだとしたら、それは障害者をそうであるという理由だけで排除していることになると考えます。

 細かい部分はネット上では追いきれなかったため、もし「事前に申告していれば、そのような措置をとることができた」のであれば、的外れな意見になることは承知しています。
 ですが、少なくともニュースになっている事項を見る限りにおいては、個人的には「問題のある対応」ではないのかと思わずにはいられませんでした。

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